風を読めない空気読めない:自己承認欲求依存症

  • 2020.02.09 Sunday
  • 10:30

実は最近、不安視していることがある。

そのことについて。

 

 


◆「自己承認欲求」といふもの

 

日々、Twitterに徒然なるままに駄文やボケを連発してて、SNSへの依存度が非常に高まり、情報取得率もかつてに比べてそこからの引用がやたら多くなっている。

受信側であると同時に発信側でもある、双方向性が便利なSNSというものは、今世紀初の凄い発明だとは思う。

 

だけど同時に危機感も日々増している。

よく言われる自己承認欲求というもの。

 

ゲームの状況報告で多用する私のTwitterの使途だけど、「かんぱに」は淡々と報告をしていただけにせよ、「Asphalt9」開始後は報告というよりは共感、共鳴してほしいという欲求が高い気がしてならない。

それはとりもなおさず、RTやいいねの数を意識しているということに他ならなくなり、TwitterのTLを読むことと、通知を確認することの頻度を比してみると通知の確認頻度が以降格段に上がった。

バズって欲しいというわけではないけど、前述の通り共感を得たいという欲求が高まったためにせめてフォロワー内だけでも「あ、それ分かるー」と言ってほしかったりするわけだな。

 

おかしいな、以前はそこまででもなかったのに、むしろいいねとかRTとかやたら気にするのってダッサってかんじだった筈なのに気が付いたら自分も似たような状態になってたってこと。

 


◆発信側としての意識

 

旧奈天→BDC(Brain Dance Campaign)→新奈天+Oratorio Crunch Cube→そしてココと、私はインターネットに関わってから何かしらの形で受信するだけでなく発信する側として利用してきたことになる。

途中からTwitterが介在してるけど、やっぱりインスタントにレスポンスを得るのにTwitterというサービスは非常に有効で、最も依存度が高く、スマホが普及した現在に至っては死語ではあるけどユビキタス社会の申し子のようなものだ。

 

で、ここでこういう文章書いてても薄々感じ取れるというか、そうなんだろうなぁと分かってもらえると思うけど、私このテの文章書く時って、ほぼほぼ普段の自分の喋り口調を意識してるのね。

あと、感情を含ませて、なるべく平坦に全年齢的に分かりやすい文章を書くようには心がけつつ、時々引っかけで「その言葉ココで使う?」的に急に専門的に難度が上がった言葉を混ぜ込むこともある。

なんでかって、レスポンスの有無に関係なく、読み手側が持続的に読む意欲やその心理に多少なりとも影響や刺激を与えたいと思うからそのように書くわけで、「単なる日々独り善がりな繰り言」だったら鬱日記でもつけておく。

 

読み取れなかった人は・・・読み取れないことはないとは思うんだろうけど、おぼろげにもあぁそうねーって思った人は、ちゃんと私の周波数に合わせてくれている人という受信側の取捨選別もできる。

「空理の文章が変で良いから」と読んでもらえてるというのなら是幸。

 


◆即時性の「危険意識」

 

これはTwitterでもそうで、日々精進ってかね、Twitter割と難しい。

だって140字におさめなきゃならんし、一応長文を吊り下げることできるけど、ほら、ここがあるし、そんなのブログに書けよって思うようなことだってある。

私のツイートでありがちなのが、140字ギリギリに収まった文章を書くこと。

何かしら「言葉の梱包材」を詰めて出荷(?)しようと思うとそうなる。

たまに「言葉の撒き菱」が詰まってたりもする(´゜ω゜`)

 

Twitterで怖いのが「即時性」というものである。

ブログなら時間がある時に読むだとか、インターバルが生じてもよい、時間のクッションが働くケースが多い。

少なくともブログの受信は絶えず即時ではない。

大体、この私のだらだらと無駄に長いブログってぇのは、読むのに手間がかかる。

途中で飽きてる人も多分中には居ると思うけど、そこはそれ取捨選別だと勝手に思っている。

だってね、読み手にも受信能力ってあるわけ。

  • 途中で飽きる人(対象外)
  • 読んでも半ば程度しか理解しない人
  • 読んで字面どおりに理解する人
  • 「こうは考えられないかな」と発展志向の人、または逆に発信側になって意見する人

ざっと大別してもこんな風になる。

とりあえず私は投げてるだけ。

それは言葉を投げたいだけかもしんないし、本当に問題提起がしたいのかもしんない。

後は受け手の判断に委ねる。

そう考えるとブログ書くの楽(´ω`)

 

Twitterに戻る。

「即時性」の何が怖いか?

言い捨てれば良くも悪くも感情に触れる。

しかも何故か速度が求められる(と勝手に思っている)

さっきのブログの読み手の受信能力って言ったけど、Twitterだとこれに加えて、相手方の心理状態も考慮する。

 

意地悪く言えば、怒らせたければ余計怒らせるかもしれないし、どうどうwって諫めるかもしれない。

慰めになるかもしれないし、鬱に陥らせるかもしれない。

読み手側の心理状態への影響を考える。

 


◆言葉は相手に向けるものだから相手を見ろ

 

感情に触れるものだってことを考え無しにやらかすと荒れる。

文字コミュニケーションだからね。

そんなの草の根BBSの時代からそういうものはそういうものだ。

言葉が足らなければ、もしくは相手が揚げ足を取りたがる傾向にあれば、やりとりは荒れる、自明。

それを即興でやれ、っていう話がTwitter、だと私は思っている。

 

言葉の応酬だとか、紛争勃発なんて何度も経験してる。

自分に原因がある場合もあるし、相手方の場合もある、どっちこっち。

でもそれを怖がってたら、帰結するところって結局「喋らないこと」になるので、それではコミュニケーションが成り立たない。

だから荒れさせないコントロールの仕方を考えようと思ったら、相手の感情に配慮するし、逆に是が非でもコイツの性根を叩き直してやるとか意気込んでしまうとわざわざ気に障ることを言いに行く。

 

この間、プラネテスを再読したんだけど、木星往還船の中でクルー同士の喧嘩を見て、ゴローさんが良いこと言ってるよね。

「ケンカもコミュニケーションの手段の一つだよ」

冷静に対応するのもいいけど、人間が感情のイキモノである以上、多少の衝突は避けられない、と荒れさせる傾向がある私は常々思っている。

・・・てか、より相手を理解する関係を築きたいと思うと避けて通れない場合ってあるんだよ、って経験上言う。

うまく着地点を見出せる結果ばかりがそこにはない。

おとなげないと言えばおとなげない。

ただ、ロクに理解もせずに去っていくのは、バカだなぁ理解しようと思ってこっちはやってんのに、って思う。

まぁ、いずれにせよ荒れるのはあんまりよろしいことではない。

一応コントロール上、荒れさせないようにはしてるってのは理解して欲しい。

 

色々めんどくさいんだけど、一応私としては、相手の年齢、立場、社会認識度、思考傾向、私との関係性の濃淡などなど、考慮しながらレスポンスはしてるよ。

私の発言が図々しいなって感じた場合は多分、私との関係性が濃いってことになるんじゃねーかな(適当

 

基本砕けた時以外、年上年下関係無く、私は敬語で接する。

これはリアルでもそう。

社会人として当然でしょ?

よくあるタメ口OK?ってTwitterの話ってさ、言っちゃ悪いけどそれなんでわざわざ相手に確認すんの?頭悪くない?って思うの。

学生対学生なら別に構わんわ。

体育会系でもない限り、上下関係のしがらみなんざネットにまで持ち込みたくねぇだろうからさ。

私なんかそういうしがらみ大嫌いだから、文科系部在籍傾向だったんだけど。

社会に出てからは、割と「体育会系出身?」って言われる程度には礼を重んじるようには実はなってる。

そのほうが相手との要らぬ軋轢は少ない。

あんまりマウント取りにこられるとブチ切れることもしくなし!ってなるけど。

どうしてもオールレンジでタメ口ききたい人は、鍵垢にして仲いい人とだけ疎通するようにすりゃよくね?

その確認をオープンでやるって、自分と同じ年齢層や社会階層としか認識してないってことで、客観視が乏しい、だから頭悪いって言ってしまうの。

 

変なとこで引き合いに出すけど、今Asphalt9でクラブに入ってる夜咲さん居るやん、夜咲さん。

私と彼女の年齢的相関で見ると、私は「夜咲ちゃん」って言っても許されるくらいの筈なのに「夜咲さん」って言うやん。

時々上から喋ったりすることも私にはあるけど、基本スタンスは「さん」付けでイーブンだと思ってるのよ。

 


◆本旨に戻るね

 

さて、色々ぐるぐる考えてると本当に際限なく長文になっていくので、そろそろ本旨に戻ろう。

タイトルにある「自己承認欲求依存症」である。

 

元々私って、「本当にいいねって思うものだけにいいねしたいし、これは広めないと、これ面白いよって紹介したいものだけにRTする」という意識でTwitterを運用してきた筈だ。

最近の傾向で言うと、「いいね」と思ってないわけではないけど、正直お付き合い上の「いいね」ってやたら増えてないか?って疑問に感じるの。

それが悪い事ではないし、いいねを貰えることはちゃんといいねと思ったからいいねしてくれたんだなとある意味馬鹿になって感じるし、そのいいねがぼやけたいいねなのか、それともリプライで反応してくるほど何かを与えたのか、そもそもその人がいいねしまくる傾向の人なのかっていう質の問題まで考えてたりもする。

あんまり言うといいね貰えなくなりそう(笑)なので、余り言いすぎないようにしたいけど、本音を言えば、「そのいいねって本当にいいね?」って言いたいこととかたまにあるといえばある、分かる?

 

これね、Asphalt9で疎通するようになってから共鳴、共感欲求が増えたって前のほうで書いたけど、年齢層が低い傾向にあるほど、いいねに躊躇が無いと思うの。「いいね」慣れっていうか。

いいねを貰いすぎるといいねが当たり前になる。

本当にいいねが欲しいものにいいねが付かないと欲求不満になる、・・・とまでは行かないけど、あれー?意外と反応薄かったなぁとか変な考えごとに陥ることが私にはあるw

 

・・・っていうのをこじらせたらどうなるか考えてみると、興味を引こう、もっと見てもらおう読んでもらおう、なんて明後日の方向に飛躍したのが嘘松ツイートとかバカッターの類になる。

或いは逆張りを狙え、みたいなビジネスサイドな視野の人も中には居るけど、基本それって集客してナンボのことの話でさ、魅力で釣るんじゃなくて興味で釣る浅い関係やん?って思うの。

めんどくさい人に見えるわけだけどさ。

古臭い考え方の人間なので私はやっぱり、「人と人の間の言葉」だと思ってるし、一人繰り言をするくらいなら鬱日記を書き貯めてるだろうし、そこに「相手」ないし「不特定の第三者」が介在するから疎通というものは面白いと思うんだ。

 

そんなわけなので、私は「いいね」恐怖症になるかもしれぬw

「えー、そのいいねってほんとにいいね?いいね?って思ってるー?ほんとにー?どこがー?」って言い出したら重症。

失敗を笑い飛ばしたいツイートにいいねをするのは是と思うけど、失敗して気分がどう見ても沈んでる人のツイートにいいねするのは「何が?」って聴きたくなる気持ち分かるかな?そんな風。

 

 

 

 

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