アニメ『ヴィンランド・サガ』にスタンディングオベーションを(/・ω・)/

  • 2019.11.10 Sunday
  • 11:31

最近アマプラに登録したんだ、アマプラ、AmazonPrimeな。

何のためかっつったら、『無限の住人-immotal-』を視聴するためな。

だがな、このむげにんいもとやらが第六幕まで観た時点で、てんでダメなんだ。

お話になんねぇ。

原作厨大激怒ってかんじだな。

おっと怒る気にもなれねぇ。

きっと制作陣は、むげにんのアウトラインを理解しないまま、そこに登場する人物像もまるで理解しないまま、「あー、とりあえず原作の話なぞっときゃ原作厨も納得するやろ、どーせむげにんなんぞ読んでる層なんざおっさんだし。」とかその程度で制作したんじゃねぇかと思うほど、こきおろしたくてしょうがない出来なんだ。

良く沙村先生はこれで納得してるな、ヘルシング作り直させたヒラコーみたいにブチ切れれば良かったのに、とすら思った。

 

正直アマプラに登録したことを心底無駄に思ったね。

 

そんな時にだ、NHKで放映してて、地上波を一切観ない私としちゃ、観れないなぁと失望してた『ヴィンランド・サガ』がアマプラで観れることに気付いた。

そんで今しがた既放映分全17話観た。

 

いやすげぇわ、これ。

よくぞここまで練り上げた、ということで記事にしたくなった。

 


◆ヴィンランド・サガとは何か。

 

作者の幸村誠先生と言えば、プラネテスもそうだけど、作品の中に哲学観織り込んじゃう良くも悪くもしんどい作品を読ませる先生だ。

 

プラネテスのアニメ化時は原作をなぞりながらだけど、ちょっとアプローチの仕方に変化をつけてきた。

いきなり原作主人公のハチマキではなく、ヒロイン格であるタナベを主役にぶっこんできたのを見て、あー・・・アニオタ受け狙ったの?と思ったものだけど、内容を見てその作品の作り方のうまさに納得したものだ。

あくまでアニメ「プラネテス」はプラネテスに代わりないんだけど、原作をなぞりながら、映像化にあたって為すべき問題点に向き合った結果を案出した。

ほぼフリーのデブリ屋を企業の一部門の世知辛い下っ端部署に置き換え、ストーリーの改変にあたって宇宙ゴミ(デブリ)とは何か、人類が宇宙に進出するにあたってまず最初に行き当たる環境問題とは何か、新たな国際社会問題とは何かについて、なるべく難しくならないように工夫した。

その上で不足していればオリジナルキャラで補い、たった4巻で終わる原作に幅を大きく持たせ、人類の次なる一歩、木星往還船の話へ原作とは異なる語り方で完結させた。

下手をすると、原作で語れなかった、説明不足だった箇所を補強して独立した映像作品として完成させたと言っていいほど。

 

さてヴィンランド・サガだ。

原作は既刊22巻までKindleで読破済。

アニメ17話は、その中で5巻までを収録している。

それも原作の世界観を語り聞かせるように原作に無い話まで補完して、丁寧に作られている。

この丁寧とは作画の上手下手ではない。

お世辞にもこのアニメ「ヴィンランド・サガ」は全ての場面において、作画が細かいとは言い難く、手を抜いていいところは止め絵をフレームイン/アウトしたり、粗いところもそれなりにある。

ただ、力を入れるところはちゃんと力を入れているから、そういった粗が良い具合に目立たない。

 

丁寧さの表れが1話冒頭、プロローグで語られる戦鬼トールズの戦線離脱、逃亡の話。

それから原作でも「良く生き延びたなコイツ」と思える5話前半、少年トルフィンがいかにして父の死後、アシェラッドの兵団に入ったか。

この2つの描写は原作にはない。

その後の描写でもちょくちょくオリジナルな部分は挟まれているが、大きくこの2つが原作に無い部分を描き上げたことで、より分かりやすく、また幸村作品が訴える死生観や生存のためにそいつが何をすべきなのかをうまく補強している。

 


◆登場人物の魅力

 

この作品では、のっぽのトルケルが大好きだ。

とんでもない巨体で「お前こそトロルだろ」と言わんばかりの戦馬鹿で戦闘のことしか考えてないけど、普段はめちゃくちゃお茶目な一面を見せるかっこかわいい話の末々に至るまでヴァイキングの中のヴァイキングであり続けるおっさんだ。

 

勿論、今後も成長とともに変化していく主人公トルフィンもそうだし、序盤で死んでしまうその父トールズもそうだし、男勝りなユルヴァねーちゃんもレイフのおっちゃんも憎い筈の親の仇アシェラッドも、その腹心ビョルンも、クヌートの身上を苦慮する余り甘やかしてしまったラグナルでさえも魅力的だ。

それどころか、アニメでは名前呼ばれたかどうかは別として、「制作陣よく分かってんじゃねーか」と感心することとして、トルケルの腹心アスゲートにもちゃんと原作通り、語らせることは語らせ、暴走おじさんなトルケルのブレーキ役として働かせている。

恐怖のあまり幼児退行してしまうトルグリム、その弟アトリもほぼ原作通りにこの後の筋書きは描かれるだろう。

 

比較しちゃいけないんだけど、冒頭に書いた「むげにんいも」は、その辺がかえすがえすも勿体無さ過ぎて話になんない。

万次や凛はもとより、天津影久や凶戴斗他逸刀流の面々もそれぞれに魅力ある描き方ができるのに、一人としてそれを表現できていない。

 


◆戦争とは何か。生きるとは何か。

 

幸村作品の哲学観や死生観にも関わる部分だけど、ほぼ人が死なないプラネテスに対して、ヴィンランド・サガは暴虐の嵐とも言えるほどに首が飛び手足が千切れ血がほとばしる凄惨な戦闘シーンや虐殺シーンが多い。

 

おいこれ放送するのNHKだろ?

放送コード的に大丈夫なの?

と心配になるようなシーンが目白押しだ。

 

それがまた・・・村の襲撃、虐殺シーンやアシェラッドの尋問シーンまで、原作通りに描かれていた。

それに飽き足らず、野生動物が死体を貪るシーンまで原作通りに描いている。

ゴアシーンをためらいなく描くことに共感はしないが、この作品の世界観はこういうものだと訴えかける貪欲なまでの細かいシーンの演出は評価されるところだ。

 

初めてクヌートがトルフィンに言い返すウェールズ道中での場面、原作ではラグナルがその変化ぶりに驚いてただけでアシェラッドの表情は遠目に1コマだけ、兵団の描写は無かったがアニメではそこにわざわざ時間を割いた。

クヌートがトルフィンという人物性にあてられて変わり始めたことを告げる重要な場面に補強されている。

 

食事のお祈りの際に父親から良き行いをして天国へ召されることを子供に聴かせる場面、その娘アンは背徳感に苛まれながら市場で盗んだ指輪の魅力により、虐殺された家族とは裏腹に助かる羽目となった。

虐殺された家族を哀しむのではなく、生きて虐殺された場面を目の当たりにしたにも関わらず「ドキドキしてる・・・」と悪魔的なつぶやきをする。

こんなエピソードでさえも、その後に繋がるお話の重要な部品でもある。

 

弱い奴は死ぬ、臆病者は死ぬ。

戦士なら武器を取れ、勇敢に戦って死んだ者だけがエインヘリアルとしてヴァルハラへ招かれる。

ネタバレになるが、この後トルフィンはもう一度大きな変化を遂げる。

序盤のオープニングアニメーションにも登場する後姿の成年に。

ちなみに原作はまだ終わっていないので、話の途中ではあるんだけども、もしもこのまま二期以降が続くとしたなら、五期くらいは軽く行くんじゃないの?というほど、トルフィンの旅は序盤も序盤だ。

 

一通り見た感想として原作ファンとしてはこの上なく満足だったのだヽ(・Д・)ノ

このままのクオリティで一つのアニメ作品として完結してほしいなぁ。

 

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